価値
「一生を終えて、後に残るのは、我々が集めたものではなく、
我々が与えたものである。」
by ジェラール・シャンドリー
「価値」とは何か、
古代ギリシャから議論されてきたのは、「価値とは人が喜ぶもの」
であり、
それは、人間の意識の外にあるものという客体説と、
人間の意識の内にある、つまり人間の心の問題であるという主観説の2つでした。
近代に入ってこの一元論を超えたのは、内と外、つまり人間と物との関わり(相互作用)が価値を生むという考えでした。
これを、経済の世界に置き換えると、客体(製品)の中に内在している価値は、
古典学派特有の価値本質論になると思います。
その最も典型的な例は、労働価値説です。
製品が商品となる過程で、どのくらいの労働が投下されたかということです。
19世紀末に入ると、交換価値が問題になります。
つまり、需要と供給の関係で価値が決まります。
「投下された労働量や資本量」に関係なく、稀少であれば価値が高くなり、
豊富にあれば、価値は低くなります。
それは、貨幣額で表されます。
これより、経済学でもビジネスでも価値本質論は語られることが少なくなったそうです。
価値とは、交換価値のことであり、価格のことだと、言えるようになったからだそうです。
①あらゆるものは貨幣額で表現される。
②価値は商品に内在している。
③それは、供給サイドがつくる。
しかしこれでは、需要サイドである、消費者は蚊帳の外になってしまいます。
現代は大きく変わろうとしています。
「生活回帰」
需要サイドからの発想を「生活起点発想」といいます。
需要サイドからみた場合、企業サイドが提供する製品・サービス・情報はすべて価値可能態です。
これを、需要サイドが受け取り、生活の中で日々の課題を解決し、欲求や欲望を充足し、夢や願いを実現して、幸福感とともに価値現実態となります。
企業サイドは、需要サイドの生活者に、製品・サービス・メッセージを通して働きかけるのが日常の事業活動です。
また、企業は人々の多種・多様な生活課題の解決、欲望や夢の実現などの営みから、
反応、不満、を敏感に収集し、編集してまた繰り返す、相互作用を通じて、
多数・多様な同調、支持、満足、信頼などの強弱、多彩な光源をしっかりと受け止める。
いわば、敏感な反射鏡でなければなりません。
需要サイドこそが、企業の存続と発展のためのエネルギーと光の発生源であり、
企業は、それらを受けて光を増すことができるのです。
「企業価値」とは、企業が勝手気ままに商品・サービスを作るのではなく、
需要サイドの顧客たちの満足、同調、支持、信頼の反射光にほかなりません。
したがって、企業は顧客からの光発射をより強くするためにも、
顧客との良好な「関係づくり」がかかせなくなるはずです。
つまり、自ら光りを発している光源は顧客であり、顧客の生活の場です。
その光の媒体となるものが、「関係づくり」です。
当社は、今月、「ソーシャルゲーム」をリリース予定となりました。
顧客の立場で考えて、開発をしております。
完成は永遠にしません。
永遠に変化する、需要サイドの光の反射鏡となります。
「 変化への抵抗の底にあるものは無知である、未知への不安である。」
by ピーター・ドラッカー